堀 兼 地 区


下新田の石仏群
普門品供養塔は観音経を一定回数唱えた記念に建てられたもの。
馬頭観世音供養塔は北入曽村の馬持中が馬の守護仏として建てたもの。どちらも「道しるべ」を兼ねています。

権現橋の石仏群
旧鎌倉街道堀兼道と不老川が交わる場所に「権現橋」が架かっています。橋の名前は橋の北側に立つ4体の石仏のうちのひとつ「子ノ大権現」に由来します。

堀兼の新田開発
堀兼は江戸時代の開発によって誕生した村です。今から370年ほど前、川越藩主松平伊豆守信綱のもとで開発が始まりました。

堀兼神社
堀兼村の誕生に合わせて川越藩主松平伊豆守信綱が家臣に命じて建てさせたと伝わっています。

堀兼之井
この井戸跡は『枕草子』で紹介され、古くから多くの和歌にも詠まれた「ほりかねの井」の一つだといわれています。

上赤坂の弁財天
この石仏は弁財天として市内で最も古く、また道標としても最も古いものです。台座には波を切って走る帆掛け舟が刻まれています。

光英寺
新田開発によって生まれた村にはお寺がなかったため、奥富村にあった古寺を堀兼に移して光英寺と名を改めしました。